コラム

死生観=生き方が変わるとき

1.人生は有限なのだ

ブログを開始して早々に人生を揺るがす大事件が起きました!

昨日の仕事中に、今までに体験したことのない激しい頭痛と吐き気に見舞われ、「ちょっと動けん」といったレベルの痛みでした。

からがら病院を受診したところ、頭痛の所見はなかったんですが、それとは別で脳動脈瘤が発見されました!マジっす!!こんなタイミングありますぅ!?

大きさは1.5mmなので、手術推奨の大きさではないのですが、今まで健康だと思っていた私にとっては、青天の霹靂でした。

30代後半まで生きていると同級生や身近な人の「死」に出会うと思いますが、なぜか自分はなんじゃかんじゃで平均寿命くらいは生きるかな~と思っていたんです。

皆さんはいかがでしょうか?

仕事柄、余命宣告された方とも接してきましたし、脳に障害を持った方とも接してきましたが、そんな方々の立場に立って考えてきた「つもり」だったなぁと思ったり。

他人である専門家は無力さに自覚的でなければならないですね。

何でも分かった気になっちゃダメ!だめだめ~。

それでもなお関わるのがプロだと思います!

もし手術となれば、おそらく今のパフォーマンスを維持するのは困難でしょう。

ある種のリスク因子が発覚したことで、ポジティブに考えれば、やりたいこと、チャレンジしたことをやる、という言い訳ができたなと思っています。

凡人こそ、死んで花実が咲くものか

2.死生観と生き方のつながり

歴史に残るような人のようには生きれません。心の声が漏れ出てしまいます。

「死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」

吉田松陰は処刑されるのがわかっている状態でも弟子の高杉晋作に、このような手紙を送っていたそうです。

死ぬことによって大志を達成できるというのなら、いつ死んでもかまわない。生きていることで大業を成し遂げられるというのであれば。生きていればいいのだ、という意味です。

生きていても、まるで死んでいるみたいだと周囲から思われるような生き方はするな、ということです。カッケェ!!

凡人なる私は、言い訳しか出てきませんが、脳動脈瘤の発見によって、私もそう生きたいと思うんですね。別に失敗したって、行った道を引き返すような恥ずかしいことになったって、開き直れる言い訳(脳動脈瘤様)があるから、大丈夫!!

死に直面した方々が、皆さん悟りを開いたかの如く穏やかになる理由も、自分の生き方に迷いがなくなるんでしょうかね。

そんな生き方をしていきたいという宣言&出来事でした-。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!